医の心
にゅうす・らうんじ 昭和にんげん史
命救う歯科医志願
大阪府豊中市で開業する片山恒夫(79)は、歯を救う歯科医だ。並ではない。二、三回通うと、歯を大切にするよう仕立てられてしまう。「抜いて」と言われて抜いた歯は、半世紀余で十数本だけ。患者が「これは片山先生の歯。使わせてもらってるんです」と笑う。
といって、歯だけが大事なのではない。新患はもう診ないが、以前からの患者が「先生のお陰で人生が明るくなった」と、礼状をくれた。歯の治療中、ごく間接的に生き方をさとしたのだ。「あの人、歯の回復は物足りないんですが・・・よかった」。人生の師にもなって、「医の心」を楽しむこのごろだ。
アール・ヌーヴォー
片山自身、日常の仕事、すなわち総ての時間において取り巻き流れている感覚、人間の歯の半透明の美しさ、色相のグラデーション、連続する曲線・曲面の機能美・造形美を愛でていた。
それがゆえにアール・ヌーヴォーのガレやドーム等のガラスエ芸をこよなく愛していた。
アール・ヌーヴォーのガラス工芸の開花には、当時、全欧最高の仏ナンシー森林高等学校に日本政府より派遣留学(1885~1888)していた高島北海の影響は計り知れない。
片山はまた、アール・ヌーヴォーに高島北海が深くかかわっていたことに、日本人としての誇りと喜びを感じていた。
(ナンシーで日本画法を紹介、ガレその他に影響を与え、アールヌーボー運動を刺激した。)
高島北海
山岳風景画で知られる明治~昭和初期の日本画家。絵は独学で学んだ。明治政府の技術官僚として地質調査や山林行政に20年以上携わり、山岳のスケッチを数多く残した。仏ナンシーの森林高等学校に留学中、植物や曲線を多用した装飾で知られるアールヌーボーの芸術家と交流。50代で本格的に画業で生計を立てるようになった。長門峡の名付け親でもあり、県内各地の名勝の保存・開発に尽力した。
片山セミナーでは、スライドの合間に、野の花や、ガレやドームのガラス工芸品の写真が登場する。
ある症例が終了するときや、テーマが変わるときのサインとして用いられた。
講演者とスライド係の息の合った連携は、周到に準備されていたのです。同時に、講義に集中していた聴講者も、一息つける微妙な間合いでした。
Don Quijote
緒方先生と橋口先生の交信メールの中で、「酒の肴では行動は起こせないよ。やはり行動するとなるとドン・キホーテだよ。そう言えば、恒志会のホームページに片山先生のドン・キホーテ論は載ってないよね。」
そもそもは、ここから始まった。確かに、ドン・キホーテと言われれば、どこかで片山先生とダブる。
緒方先生が、平井さんがセミナーで「影山正治のドン・キホーテ」を朗読したことがあったと。
複数の理事から「そんな記憶がある」という返事。
平井さんから送っていただいたセミナー資料を丹念に調べてみたところ、影山正治のドン・キホーテの詩が見つかった。緒方先生と橋口先生の交信メールの中で、「酒の肴では行動は起こせないよ。やはり行動するとなるとドン・キホーテだよ。そう言えば、恒志会のホームページに片山先生のドン・キホーテ論は載ってないよね。」
そもそもは、ここから始まった。確かに、ドン・キホーテと言われれば、どこかで片山先生とダブる。
緒方先生が、平井さんがセミナーで「影山正治のドン・キホーテ」を朗読したことがあったと。
複数の理事から「そんな記憶がある」という返事。
平井さんから送っていただいたセミナー資料を丹念に調べてみたところ、影山正治のドン・キホーテの詩が見つかった。K. N. さんへの手紙
平成12年5月
親しくしていたジャーナリストが、自分の口腔内に不安を感じ、片山先生に手紙を認め、助言を求めた。
それに対しての、片山先生の返信。平成12年9月
WHOの健康の定義
Health is a state of complete physical, mental and social well-being,
and not merely the absence of disease or infirmity.健康とは、完全な肉体的、精神的ならびに社会的に良好な存在状態であって、
単に病や弱さの存在しないことではない。宮田尚之著「健康の研究」より引用
この定義を訳した法務大臣官房司法法制調査部編の現行日本法現によりますと、「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病や病弱の存在しないことではない」となっています。
つまりwell-beingを福祉とし、infirmityを病弱と訳しています。
なるほどwell-beingは辞書によりますと、福利、福祉、安寧などとなっていて、文字的には福祉でよいのであります。
しかし、それは社会的ということにはよく通じますが、肉体的福祉、精神的福祉では日本語としてはうまく通用しませんので、well-beingを文字通り良好な存在と訳したのであります。
また、infirmityを病弱と訳していますが、これも辞書の上では、やはり、病弱、衰弱、虚弱、弱点、欠点、病気などの字でありますが、病弱と言えば、病気に罹ってそのため弱ったという意味でありますから、その前にdisease病気という字がありますので、病弱とすれば、同じ病の言葉が重なってくると思います。
従ってinfirmの語原的な意味、つまり固くない、強くないの意味をとって、ここでは弱さと訳したのです。
そのためdiseaseも疾病と言わず病いとし、弱さと同じようなニュアンスの言葉にしました。
なお、このdiseaseとinfirmityと並べたところに、特に私は大きい意味を感じます。
それはdiseaseとは、病気を示し、病気とは一つの生化学的変化の起こった状態が主で、すなわち化学的変化を主とします。
それに対し、infirmityは弱力、つまり、力学的すなわち物理的変化を主として示します。
よってこの二つの言語によって、化学的と物理的な変化の起こっていること、つまり自然科学的なニ大要素に変化の生じていることを、うまく示していると思うのであります。
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健全と健康の間
石渡隆司 (岩手医科大学教授 哲学医療思想史)
医療は個人の健康と、それを通して社会の健全化を目指すと言われるとき、健全と健康との間にはどのような概念上の類比や連続性が見られるのであろうか。
「健全」と「健康」の訳語誕生の由来。
「健全」:1867年 杉田玄白 オランダ語「ゲソンドヘイトレール」を邦訳。原書は「The Science of Health ; Hygiene」で、Hygiene の訳語であった。
明治8年内務省に衛生局誕生によって、「健全」は「衛生」になる。
「健康」:1812年 「アンゲリア語林大成」の中で「壮健」「堅固」の意。
「健全」と「健康」の語の関係
1878年 福沢諭吉「福翁百話」の中に、「この身体を健康に保つの法 を教ふるは健全学(ハイジーン)なり」の一文。
そもそも「健全」の言語であったハイジーンがもっぱら「衛生」に置き換えら れるようになるのに伴い、「健康」は個々人の身体の状態を指し、「健全」は心 理的もしくは精神的側面を含めた全体的な健康を指すようになった。
大槻文彦編「言海」(明治 24 刊行)
「健全」とは「身健やかにして病なきこと」と「穏健にして偏僻ならぬこと」
用例に「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」。この用例は、その後の多くの 国語
辞典に踏襲される。
片山が日頃よく口ずさんでいた曲